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街角だより

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1988年のフィリピンへタイムトリップ
アクセスが設立された1988年、私は小学校6年生でした。短パンを穿き、初乗り1.25ペソだった乗り合いバス(現在、8.00ペソ)に乗って通学していました。
車内では子ども心に響く「Estudyante Blues(学生ブルース)」という歌がよくかかっていました。「Anak(息子)」という曲を作詞作曲したことで日本でも知られる歌手フレディー・アギラの曲です。「♪いつも非難され、いつもお前が問題の元凶だと言われ…学校へ行く日の朝は、両親からの小言が僕の朝食…」というその歌詞は、子どもたちの心を突き刺したものです。当時流行っていた歌の大半は恋歌ソングで、あたかもフィリピン人は恋愛のことばかり考えているかのようでした。…いや、今もその風潮は変わっていませんね。
 


song
Apoというグループの「Awit ng Barkada(親友の歌)」はすばらしい友情の歌でした。
♪おや、また君はとても悲しそうにしている、言葉にできないくらいよくないよ。
世界中のあらゆる問題を抱えこんでいるようだ…今にも頭が地面につきそうな
くらいうなだれてるじゃないか。おぉ、友よ、どうかこれは忘れないでおくれ。
人生は取るに足らないものだし、君には友がいることを。
僕らはどんなことがあっても君のそばにいるということを。
この頃流行った思い出深いもう1曲は、マイケルジャクソンの「Bad」です。私も彼のステップを真似ていたことを覚えています。


TV
学校の昼休みには外に出て、「GMA スーパーショー」という有名なテレビ番組を見ていたものです。当時のテレビ番組は、女性のセクシーさを強調してばかりいる今日のテレビ番組と違い、品位がありました。

population
当時はフィリピンの人口は7千万でしたが、今は約1億人もいます!


supermarket
フィリピン最大のショッピングモールであるシュー・マートは当時、マニラ首都圏内に2~3店舗あるだけでした。現在はフィリピン全土に47もの店舗があります! 他方、私は小さなサリサリ・ストア (フィリピンのどこにでもある個人経営の雑貨店)さえ開けずにいます。

clothes
週末は、貧しい両親を支えるため、マニラ市のキアポ教会周辺でサンパギータ(甘い香りのする白い花)を売って働きました。私の当時のぼろぼろの衣服は、若者に人気のあったアシッド・ウォッシュ・ジーンズやリーバイスのジャケットに比べると、ひどいものでした。私の壊れたサンダルは、当時大流行していたアディダスのスーパーモデルとは比べ物になりませんでした。当時の私は、お金をたくさん稼いで、おしゃれな服を買うことを強く夢みていました。

movie
当時から欧米の映画はとても人気があり、人々は長蛇の列を作っていました。ブルース・ウィリスの「ダイ・ハード」や「レイン・マン」、 「クロコダイル・ダンディー」は大変な人気でした。私は大好きなフィリピンのイケメン俳優、フェルナンド・ポー・JR主演の映画を観たいと思っていましたが、貧しさのため映画のチケットを買うことができませんでした。

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フェルナンド・ポー・JR
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フィリピンと日本で貧困問題に取り組む、国際協力NGOです。

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