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13年 11月 特集記事

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アクセス25周年記念-森脇さんを通してアクセスを見る-
インタビュー111[インタビュー企画]
アクセスは、今年で設立25周年を迎えます。
『となりのアジア』では、アクセスに携わってきた
人たちの想いや出来事を二回にわたり紹介します。
今回は、最も長くアクセスの中心となって活動され
ている常務理事、森脇さん(下写真)です。
この記事が読者の皆様にとって、アクセスの魅力
を再発見するきっかけになれば嬉しいです。
        -広報委員会一同


森脇 祐一(もりわき・ゆういち)
NPO法人アクセス 常務理事
1961年生まれ。学生時代には大阪・釜ヶ崎の日雇い労働者や野宿者への支援活動を行う。1991年からアクセスの職員として国際協力に携わる。
2000年、法人格の取得に際し事務局長に就任。2007年から2010年にかけて、フィリピン駐在員。帰国後、現職。  


実はアペロ11
➀気になっていた人も多い!?
アクセスはなぜ
フィリピンを活動国に選んだのか

―森脇さんがアクセスに関わり始めた91年には既にフィリピンで事業を行っていたそうですが、なぜアクセスはフィリピンで活動し始めたのでしょうか?
森脇さん:
当時周りの人に聞くと、近いから、英語が通じるから、そんな理由でした。最初はあまり納得いってなかったんです。支援する側の都合で決めるのって、どうなんだろう。貧しいからとか、支援を必要とする側の理由で決めるべきではないだろうか、と。
NGOみたいなことをやっていると自分が支援している国が悲惨な方が、自分がやっていることがえらいと思ってしまうことってないですか?でも、それってよく考えたら変じゃないですか?
それに後から考えると近くて英語が通じるというのは意味があることだと思うようになりました。

―それはどういうことでしょうか?
森脇さん:
アクセスは、貧しさは、その国々の人たちの問題だけではないと捉えています。近代以降の植民地支配の歴史の中で、先進国といわれる日本も含めて、その国々との関係の中で貧しさが作られ、強制されてきた。貧困問題を解決するのは、フィリピン人だけが頑張ればいいというのではなく、日本に住んでいる私たちにも関係する、私たち自身の問題でもある。そうだとすると、「日本人自身が貧困の現実をちゃんと知る。フィリピンの問題をフィリピン人の問題だと突き放すのではなく、自分たちの問題だと考え一緒になってその問題を解決していくこと」が必要なのです。
実際にフィリピンは、スタディーツアーで行きやすい。日本人であるわれわれが実際に現地に行って、いろんな問題を実感し、現実を知ることができる。そして一緒になっていろいろなプログラムをやっていくには、コミュニケーションがとれたほうがよい。直接相手とやりとりをして発展させることができる。そう考えると、近くて英語が通じるというのは、日本人の問題として捉えるには意味がありますよね。


pinatubo救援1
「社会の構造を変える」ことができる仕事として、アクセス(当時の「京都アジア文化交流センター」)で働き始めた森脇さん。ピナツボ火山噴火被災者への救援活動に取り組んでいたころの写真。真ん中で報告をしているのが、森脇さん。

②アクセスに関わる、きっかけ活動し続ける理由
―なぜ森脇さんはアクセスで活動するようになったのですか?
森脇さん:
大学生時代に考えた“社会の構造を変える”という課題に取り組むことができる仕事だったから。自分のしたいことでお金がもらえるし。正直、フィリピンじゃなくても、国内の問題でもよかったんです。
社会問題について考え始めたのは大学に入ってからで、一つは正しいとは何なのかわからなくて、正しさとは何なのかを一生懸命考えていました。当時も原発問題だとかいろんな問題がマスコミで騒がれていて、あらゆる問題に対して自分はどういう立場をとったらいいのかがまったくわからなかった。自分が心の底から正しいと思えること、自分の考えや言葉が何もないということに気づかされました。
もう一つは他者との関わり方について。私が顔を出していた研究会で差別論というのをやっていた。そこでは社会的弱者について無関心でいると、相手に負担をかけてしまい、相手に対して抑圧的になってしまうというような議論がおこなわれていた。例えば耳の聞こえない友人と
一緒に議論しようとすれば、私が手話を使わない限り、その友人に私の口元を見て会話を読み取ったりより多くの努力を強いることになる。抑圧的にならないために最初に考えたのは自分の否定。日本人だったり、男だったり、健常者だったり、大学生であったり、自分が持っている属性はほとんど抑圧する側の属性だと気づいた。そういう自分を否定しようと思った。でも、結局自分を全て否定することはできないし、自分を否定したからと言って相手が抱えている問題が解決されるわけでもない・・・。自分を否定するベクトルから抜け出すのに2年くらいかかりました。
 自分が自分であることを肯定しながら相手と対等な関係になりたい。そうすると相手と対等な立場でいられない原因は、社会の仕組み・構造にあり、対等でいるためには社会の構造を変えていく必要があると気づいて…。そしてそれをするのが自分にとって正しいことで、結果的に相手にとっても良いことだと。そこに判断基準ができて、それ以降何も迷いがなくなりました。

―アクセスはもともと、企業が創設した団体。森脇さんはその企業の社員として、出向という形でアクセスで働くようになったそうですね。経営難からその企業がアクセス事業から撤退するとなったとき、社員として会社に残って別の仕事をするか、会社を辞めて企業の支援金なしでアクセスで活動を続けるかという選択がある中で、葛藤や不安はなかったのでしょうか?
森脇さん:
大学三回生以降は悩んでないです。社会問題と関わることをや るために、たまたま有利な条件があったのでそれを活用、利用して仕事をしていたけれども、その逆ではないということです。会社への就職があって、それにその活動がついてきたのであれば、今アクセスでやってないかもしれない。でもこういうことをずっとやりたいと思っていて、たまたまそれでお金が貰えていた。ずっとそういうことをやりたいと思っていたので、お金がなくても続けただけ、ということなんだと思いますけど。
すいません、感動のない話で。
―森脇さんの中では、一貫したものがすでに大学生の時に出来上がっていたんですね…!



ペレーズ滞在時の写真1


③アクセスが考える
ツアー参加者やボランティアスタッフとの関係性
1992年から始まり、今もアクセスのメイン事業であるスタディーツアー。
ツアー参加者や、常時50人~60人いるボランティアスタッフとの関係をアクセスはどのように捉えているのでしょうか?


スタツア感想共有の様子1

スタツアディスカッションの様子 (2)1

(上)2つの写真は、スタディツアー中のディスカッションの様子

―ツアー中何回もあるディスカッションや感想共有。昔はレクチャー中心だったと聞きましたが、2000年ごろから今のようなディスカッションを多く取り入れる形式になったのはなぜですか?
森脇さん:
ブラジルの教育者にパウロ・フレイレという人がいるんですが、彼は「教えるもの」と「教えられるもの」の関係を問題としているんですね。例えば学校の授業などでは、先生が知識と名誉と権力を持っていて、そこから一方的に知識が教えられる側のほうに流れていく。そうではなく、教える側と教えられる側が対等な関係を持ち、お互いに学び合えるようなことを、実践的にやっていくことがいいことなんだと主張していました。こうした発想を、「途上国の人」と「日本人」とか「男」と「女」とか社会構造の中で力の差がある者同士にも応用して考えようという意識が、当時NGOに携わる人の中で出てきていました。
アクセスでもツアー主催者のアクセスと参加者の関係を、そのような問題意識をもって捉えて、レクチャー主体からディスカッション主体になってきたのだと思います。

パウロフレイレの本1


―なるほど…そんな深い意味があったんですね。

インタビュー21

森脇さん:
大風呂敷を広げると、アクセスという団体そのものもそういう方向性を目指しているといえないこともない。例えばボランティアの人たちと事務局の人たちの関係。よくあるのが、ボランティアが労働力として使われる。事務局活動で手の回らないところを補助するものとして、ボランティアの活動が位置づけられるのが一般的なボランテイアの関わり方ではないでしょうか。アクセスは、それだけではだめなんじゃないかという考えです。なので、ボランティアの方々には、「自分たちでチームを作り、自分たちで考えて活動してください。」というスタンスで接しています。職員とボランティアは、普段やっている任務は違うんだけど、どっちが上でもなく、どっちが下でもない。お互いに学び合う、協力し合う関係性。
さらにいえばボランティアは、事務局任せにせず、自分たちから要求する。自分たちで責任を引きうけて、自分たちで作りだす。そういう方向にアクセスは向かっていきたいと思っています。




④アクセスが大切にするもの、理想とは?

―森脇さんにとっての活動のターニングポイントのようなものはありますか?
森脇さん:
自分自身のターニングポイントは大学時代にすでに終わっているのですが・・・。アクセスの活動の意味みたいなものを考える上では、ちょうど98年か99年くらいに、パヤタスの住民に言われた言葉がありますね。パヤタスというゴミ捨て場を訪問したときに、住民から「日々の暮らしは絶望的である。くじけそうにもなる。でも自分たちのことを気にかけてくれ、支援をしてくれたりする人がいる。そういう風に思えることが生きていくうえでのエネルギーになる、頑張れる。」と言われたんです。僕のやりたいことはそういうことなんだろうなと最近感じています。
人と人との繋がりを創っていく。しかもその繋がりがお互いの生きていく上で“支え”というと大げさかもしれないけど、何かしら生きていく力になるような、そういう繋がりを国境を越えて創るというのが自分のやりたいことなんだろうな、と最近思うようになっています。
 NGO業界の中では、プロジェクトをやって、3年なり5年なり期間をきめて、そこで成果をだして次のプロジェクト地に行くというのがあるべき姿といわれることが多い。もちろん関係性は変わっていくと思う。事業が発展していく中で(例えば自立促進が進むことで)、アクセスと住民の人たちの関係は変わっていくし変わらなければいけない。ただ、だからもうアクセスが支援してきたペレーズの人たちとは関わらないとか、好きにやってくださいとかいうふうにするのは、もったいないし、違うんじゃないか。むしろ、半永続的な繋がりというか、国境を越えたコミュニティみたいなものを作っていくことを目指したいと思っています。

パヤタス男性1
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Author:NPO法人アクセス
フィリピンと日本で貧困問題に取り組む、国際協力NGOです。

〒612-0029
京都市伏見区深草西浦町4-78
村井第一ビル2階7号室

TEL 075-643-7232
メール acce@sannet.ne.jp

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